top of page

課題研究

〈​一般公開〉

■テーマ

例外状態と当事者性

―阪神・淡路大震災の記憶から教育の極限を問い直す―

■報告者・司会

報告者 渥美 公秀(大阪大学)

    池田 華子(大阪公立大学)

    山名 淳(東京大学)

司会  岡部 美香(大阪大学)

    李 舜志(法政大学)

■趣旨

 今年の教育哲学会大会は、1995年1月17日の阪神・淡路大震災から30年目に神戸の地で開催されます。理事会では、やはりこの災害の記憶から今回の課題研究を企画したい、ということになりました。

 この震災以後、さらには2011年の東日本大震災を経て、教育学の中でも、たとえば災害時の子どもの心のケアや防災・減災教育については多くのことが語られるようになっています。が、それにとどまらず、災害あるいは厄災という極限の不条理の体験は、教育という基本的に未来志向の営みの原理的な可能性(あるいは、むしろ不可能性)への教育哲学的な問いをも、あらためて惹起しました。既に本学会の会員諸氏によって、それをめぐるいくつもの根源的な思索が提起されてもいます(山名淳・矢野智司編著『災害と厄災の記憶を伝える――教育学は何ができるのか』勁草書房、2017年)。

 今回の課題研究では、それらの思索を踏まえつつ、阪神・淡路大震災から30年という時を意識したとき、あらためて教育哲学は何を問うことができるのかを考えたいと思います。その際に浮かび上がったキイワードが「例外状態」と「当事者性」です。

 カール・シュミットに由来する前者の概念は、アガンベンの同名の著書によって近年、再び脚光を浴びていますが、前世紀末から私たちは、それに該当するような事態に繰り返し直面しています。たとえば2001年の同時多発テロ後のアメリカと世界、新型コロナのパンデミック、イスラエルによるガザでのジェノサイド、…そして我が国での大震災の経験もまた、そこでは法と生との「非-関係」が露呈する、いわば例外状態であったと言えるでしょう。他方、阪神・淡路大震災の現場では、通常の統治機能が停止した状況下、市民によるヴォランタリーな“公”性が立ち上がったことが報告されています。アガンベンが例外状態やホモ・サケルの概念を通じて描きだす生政治の否定性と、その彼方に遠望しようとしている「到来する共同体」のイメージに、私たちは大震災の両義的な経験を重ね合わせて考察することができる/すべきでしょうか。そしてそこに、教育という“公”的な営みの限界と同時にオルタナティヴな基底を見ることができるでしょうか。

アガンベンに固有の意味での「例外状態」の概念をこのシンポジウムの問いに適用できるか否かは、あるいは議論の余地があるものと思われます。しかし、今回は厳密なアガンベン解釈の如何に踏み込むよりは、この概念を一つの触発的契機として受けとめて、創造的に議論を展開できればと願います。議論の前提となるアガンベン、そしてベンヤミンやシュミットの概念については、後掲の「プレ企画:読書会」において基本的な共通理解を図った上で、大会での議論に臨みたいと思います。(この「プレ企画:読書会」の際のレジュメは、大会当日に資料として共有する予定です。)

 また、阪神・淡路大震災については、30年の時を経て、その体験の継承・伝承が課題とされるようになっています。同じ問題は、アジア太平洋戦争後80年の今、戦争や被爆の体験についても指摘されています。この、不条理な受苦の体験を語るべき“当事者”とは誰か、という原理的な問いについても、アガンベンの思想は示唆的です。『例外状態』のなかで彼は、今日ではそれが常態化して「統治のパラダイム」になっている、と論じます。そのことは、私たちはみな、潜在的には(潜勢力においては)ホモ・サケル=「剥き出しの生」である、ということを意味します。このラディカルな指摘は、受苦の“当事者”の概念を揺さぶるように思われます。そのとき、原理的に表象化=再提示(representation)を課題とする教育という営みにおいて、不条理な受苦の体験は誰によって、いかに語られることになるのでしょうか。そして、根源的にかけがえのない、そもそも語り得ない体験を、敢えて一般化して社会的に語ろうとする教育学という企図は、それでもなお可能でしょうか。

 

 シンポジウムでは、阪神・淡路大震災の想起を契機に、「例外状態」と「当事者性」という概念に即して、あらためて教育と教育学の極限を省察しつつ、にもかかわらず、その向こう側に希望を展望することができるか、問いたいと考えます。その手がかりとして、以下の方々に報告をお願いします。

渥美公秀氏:社会心理学、グループ・ダイナミックス。阪神・淡路大震災に遭い、ボランティア活動に参加したことをきっかけに災害ボランティア活動を研究。NPO法人日本災害救援ボランティアネットワーク理事長として、災害ボランティアの実践にもコミットし続けておられます。著書『災害ボランティア――新しい社会へのグループ・ダイナミックス』(弘文堂、2014年)ほか。

 

池田華子会員:上記の『災害と厄災の記憶を伝える』では、人間の不幸――決して答えの得られない圧倒的な空白に向けて放たれる「なぜ」――にいかにして関わることができるのかを問うシモーヌ・ヴェイユの「方法」を考察。近年はオープン・ダイアローグを中心とする対話実践に関心を寄せつつ、その対話主義についても原理的に検討しておられます。

 

山名淳会員:編者を務めた『災害と厄災の記憶を伝える』では、災害の記憶の「教育化」と「脱教育化」のせめぎ合いを、ヒロシマをめぐる「記憶のポリティクス」に即して考察。続いて『記憶と想起の教育学:メモリー・ペダゴジー、教育哲学からのアプローチ』(勁草書房、2022年)の共同研究も主導して、記憶・想起と教育・人間形成との関係を原理的に考察し続けておられます。

「課題研究」プレ企画:読書会について

 大会に先立ち、議論の契機とするアガンベンの「例外状態」の概念の基礎的な共通理解を図るために、プレ企画としてオンラインでの読書会を開催します。

日時:2025年9月1日(月)および9月3日(水)15時~17時

 

第1回(9月1日):

 アガンベンの『例外状態』(上村忠男・中村克己訳、未來社、2007年)を、特にシュミットとベンヤミンが論じられている第2章と第4章を軸に読みます。最初に、アガンベンを研究テーマにしておられる寺道亮信会員(東京大学大学院)にレジュメをご担当いただき、30分程度でテキストの内容を報告していただきます。それを受けて、3~4名ずつブレイクアウトルームに分かれて、40~50分程度、グループで議論していただきます。その後、全体に戻り、グループでの議論を共有して終わります。

第2回(9月3日):

 ベンヤミンの「暴力批判論」(浅井健二郎訳『ドイツ悲劇の根源 下』ちくま学芸文庫、1999年 所収)とシュミットの『政治的神学』(権左武志訳、岩波文庫、2024年)を読みます。前者は、ベンヤミンを研究テーマとしておられる浅井健介会員(奈良教育大学)に、後者は、20世紀ドイツ思想史に造詣の深い白銀夏樹会員(関西学院大学)にレジュメをご担当いただき、それぞれ20分程度でテキストの内容をご報告いただいた上で、前回同様にグループで議論、最後に議論を共有します。

(なお、ベンヤミンとシュミットについては複数の邦訳がありますが、上記を使用します。ベンヤミンは現在、品切れですが、古書は比較的容易に入手できます。)

参加を希望される方は、下記のzoom会議室への登録フォームにご登録ください。どちらか一日だけの参加も可能です。締め切りは8月25日(月)とします。

課題研究企画担当理事 岡部美香(大阪大学) mioka@hus.osaka-u.ac.jp

           西村拓生(立命館大学) takuo@fc.ritsumei.ac.jp

©2025 教育哲学会第68回大会準備委員会

bottom of page